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東京地方裁判所 昭和35年(ヨ)2117号 判決

申請人 西谷良二

被申請人 王子製紙株式会社

主文

本件申請を却下する。

申請費用は申請人の負担とする。

事実

一  当事者双方の求める裁判

申請人訴訟代理人は、「申請人が被申請人に対し、雇傭契約上の権利を有する地位を仮に定める。」との裁判を求め、被申請人訴訟代理人は主文第一項と同旨の裁判を求めた。

二  申請の理由

(一)  被申請人は肩書地に本社を、北海道苫小牧市及び愛知県春日井市に工場を設け、紙類、パルプ類及びその副産物の製造加工、販売等を目的とする株式会社であり、申請人は昭和二二年一〇月以来被申請人に雇傭され、苫小牧工場設計工作部工作課保全係として勤務していたところ、昭和三五年三月四日付で被申請人から懲戒処分として諭旨解雇(以下「本件解雇」又は「本件懲戒処分」という。)の意思表示を受けた。

(二)  被申請人の苫小牧工場就業規則(以下「就業規則」という。)の第二七条は懲戒処分の種類(戒告、譴責、諭旨解雇及び懲戒解雇並びに譴責の附加処分としての罰俸、出勤停止及び謹慎)及び内容を規定し、同第三〇条は第一号から第一一号までに定める基準に該当する場合は懲戒解雇とするが、情状酌量の余地があるか又は改悛の情明らかなときは諭旨解雇又は譴責に止めることがある旨、その第二号は「工場、事業場において他人に暴行脅迫を加え、業務に妨害を与えたとき」と規定している。

ところで被申請人が本件解雇の理由とするところは、申請人が昭和三五年一月一日苫小牧工場において被申請人の従業員野中福蔵及び梅屋敷敏雄に対し暴行傷害を加えたことが就業規則第三〇条第二号に該当するというのであるけれども、申請人の行為は同条項の基準に該当しないか、仮に該当するとしても、情状酌量の余地が大きいのである。従つて本件解雇の意思表示は、就業規則の適用を誤つたものであり、無効である。

(三)  申請人は労働者であつて、本案訴訟の判決確定に至るまで被申請人から被解雇者として取扱われることによつて、著しい損害を被るおそれがある。よつて、本件申請に及ぶ。

三  申請の理由に対する答弁及び本件解雇の理由等に関する被申請人の主張

(一)  答弁

申請の理由(一)記載の事実は認める。

同(二)記載の事実中、被申請人が本件解雇の理由とした申請人の行為が就業規則第三〇条第二号の基準に該当しないか、仮に該当するとしても情状酌量の余地が大きいものであるとの点は否認するが、その余の事実は認める。

同(三)記載の事実は否認する。

(二)  本件解雇の理由及び情状

1  本件解雇の理由となつた申請人の行為は次のとおりである。

申請人は、昭和三五年一月一日苫小牧工場設計工作部工作課保全係の三番方(午後九時から翌日午前七時まで)勤務にあたり酒気を帯びて出勤し、午後八時四五分頃から同九時五分頃までにわたつて同係見張室において、同じく三番方勤務のため出勤した野中福蔵に対ししつようにいいがかりをつけ、右手で同人の襟首をつかんで引寄せるや左手拳をもつて同人の顔面を数回強打した上、右手拳で同人の喉首を突いた。二番方の勤務者として同室にいた梅屋敷敏雄がこれを見かねて、「暴力はやめろ。」といいながら、申請人を制止しようとしたところ、申請人は同人に対し「貴様もやる気か。」、「梅屋敷お前もだ。」などといいながら、手拳をもつて同人の顔面を数回強打し、胸倉をつかんでゆすぶり突くなどの暴行を加えた。右暴行の結果、両名の口唇が切れて出血し腫れあがり、野中福蔵は全治約五日間、梅屋敷は同約一週間を要するいずれも口唇部挫傷兼挫創の傷害を受けた外、梅屋敷敏雄の着用していたワイシヤツの胸部が引裂かれた。なお、申請人は右事件につき同年一月七日傷害罪によつて起訴された。

2  本件解雇の理由となつた事実は以上のとおりであるが、なお情状として次のような事実が申請人に対する本件懲戒処分の決定にあたつて考慮された。

(1) 申請人は昭和三三年一一月二九日被申請人の従業員をもつて組織する全国紙パルプ産業労働組合王子製紙労働組合(以下「旧組合」という。)苫小牧支部の組合会館内において苫小牧工場経理部副部長埴原健一に対しいいがかりをつけ、いきなり同人の顔面を手拳で強打して、同人に全治約五日間を要する切創を与えた。なお申請人は右事件について傷害罪により罰金五、〇〇〇円に処せられ、右裁判は昭和三四年九月四日確定した。

(2) 申請人は、昭和三三年に発生した被申請人と旧組合との間の労働争議の終了後、しばしば上司や同僚に対し暴行、脅迫、傷害を加え、あるいは暴力的吊上げに参加して、職場秩序を著しくびん乱し、被申請人の業務を妨害した。その具体的内容は次のとおりである。

(イ) 申請人は当時旧組合苫小牧支部の執行委員であつたが、前記争議の終了後最初の就労日である昭和三三年一二月一五日午後四時頃苫小牧工場電気部門の旧組合員約四〇名と共に、同工場電気部長室に押しかけて塚田電気部長を取囲み、同部長の再三の拒絶にもかかわらず話合いを強要し、同部長が室外へ出ようとするのをその前面に立ちふさがつて阻止したばかりでなく、その腕をつかんで引戻してその自由を拘束した上、十数項目にわたる要求事項に対する回答を確約させ、更に同工場第二応接室において同日午後八時頃まで確認文書の作成を強要して同様の吊上げを行い、遂に同部長にその作成を約束させた。

(ロ) 同工場の製品部輸送課輸送係の旧組合員約二〇名は昭和三三年一二月一七日午後二時二〇分頃同係事務室になだれ込み、千葉製品課長の再三にわたる警告を無視して、同室内で執務中の同係中山職長(王子製紙工業新労働組合―以下「新組合」という。―所属)を取囲み、その後逐次参集し同室の周囲を包囲した他係の旧組合員ら約三〇〇名と共に、同人の自由を拘束し、口々に「犬」、「脱落者」などと罵声を浴びせ、同人に同係の休憩室への同行を強要した上、同人が旧組合の組織を切崩したと因縁をつけ、今後職長として切崩しは絶対にしないという趣旨の文書をつきつけて署名を迫り、脅迫に耐えかねた同人をしてその意に反して署名させた。右吊上げは同日午後五時四〇分頃まで続けられたのであるが、申請人はその間午後三時頃旧組合苫小牧支部の宇佐執行委員と共に同室に来て、急を聞いてかけつけた宮崎人事課長の厳重な抗議に耳をかすことなく、最後まで吊上げに参加した。

(ハ) 同工場設計工作課保全係の旧組合員約一六名が昭和三三年一二月一八日午前七時二〇分頃から同九時二〇分頃までの間同係の休憩室において就業時間中の新組合員である同係職長星野満治及び同小野寺平蔵に対し、「なぜ組合を割つたか。」、「組合は一本になるべきだ。」などといつて吊上げを行つたのであるが、申請人は同日午前八時二〇分頃同室へ来て旧組合員の右吊上げを制止するどころか、かえつて約一五分間にわたり威圧的な態度でそれに勢をそえた。

(ニ) 同工場の電気部電動課第一電動係などの旧組合員約七〇名(後に約一〇〇名に増加した。)が昭和三三年一二月一八日午後二時一〇分頃から同五時頃までの間同係更衣室、次いで第一砕木係休憩室において、新組合員である第一電動係の職長池田一雄及び組長林土光を取囲んで両名の自由を拘束した上、いいがかりをつけ、罵声を浴びせたり、「会社をやめろ。」、「辞職願を書け。」などと強要したり、トタン張りの机を強打して轟音を立て、旧組合への復帰を迫つたりして、激烈な吊上げを行つたのであるが、その間申請人は右休憩室の入口において監視し、急を聞いてかけつけた宮崎人事課長の前に立ちふさがつてその入室を阻止し、吊上げをやめさせるようにとの同課長の再三の注意にも応じなかつた。

(ホ) 同工場原質部副部長兼抄取調成課長戸巻運吉が昭和三三年一二月二九日午後二時三〇分頃同課抄取係休憩室において同係一番方(午前七時から午後二時まで)の勤務を終了した同係員に対し翌日の修繕定休日のための残業について説明していたところ、申請人は同日午後三時過頃旧組合苫小牧支部の畠山執行委員と共に無断で室内に侵入し、そのため説明を受けていた旧組合員に不穏な気配が生じたので申請人らに退去を求めた同課長の再三の要求に応じなかつたばかりか、逆にいいがかりをつけて同課長にくつてかかり、その結果やむなく説明を中止して室外へ出ようとした同課長の左腕、手首をつかんで引きとめ、室内に引きもどし、更に申請人の手をふり切つて逃れようとする同課長の前に立ちふさがつて退室を阻止し、午後四時頃まで右のような暴力をもつて同課長の自由を拘束した。

(ヘ) 同工場原質部抄取調成課抄取係の旧組合員が昭和三四年一月二六日午前七時頃から午後九時頃にいたるまで、被申請人が同月二四日三番方の抄終い作業に職長二名をして時間外勤務をさせたことについて無根のいいがかりをつけ、被申請人の再三の就業命令を拒否して業務に就かなかつたため、被申請人は同係及び同部見張係の新組合員らによつて中途から操業を開始したのであるが、申請人は同日無断で自己の職務を放棄し、団結と書いた鉢巻をして抄取係の職場をはいかいし、午前一〇時頃同係のオリバー(脱水機)運転及び原料の濃度調節作業に従事していた雨宮善が同係三号オリバー附近の狭いタラツプを通過しようとしたところ、同人の前に立ちふさがつて通行を妨害した上、同人の就業にいいがかりをつけ、申請人に触れないように身体を横にして同所を通抜けようとした同人の胸部を手拳で強く突きとばしただけでなく、「押したな、この野郎。」と逆に因縁をつけ、「仕事をやめろ、帰れ帰れ。」などと暴言を浴びせた。

3  本件解雇の理由となつた前記1の事実は就業規則第三〇条第二号に該当することは明らかであり、これに前記2に詳述したような事実を情状として合せ考えるときは、申請人の行為は懲戒解雇に相当するが、被申請人は特に申請人の利益のため諭旨解雇の懲戒処分に止めたのである。従つて本件解雇について申請人主張のような就業規則適用の誤りはない。

四  本件解雇の理由等に関する被申請人の主張に対する申請人の答弁及び反論

(一)  答弁

被申請人の前記三の主張のうち、(二)の1記載の事実中、申請人が昭和三五年一月一日酒気を帯びて出勤し、午後八時四五分頃から保全係見張室内において、申請人と同じく三番方勤務として出勤した野中福蔵と争つたこと、その際申請人が二番方勤務として同室にいた梅屋敷敏雄を「貴様もやる気か。」といつて押したところ、申請人の手が同人の口にあたつたため同人の口唇が切れて出血し腫れあがつたこと、又野中福蔵もその際口唇が切れて出血したこと、申請人が右事件について被申請人主張のとおり起訴されたことは認めるが、その余の事実は否認する。

同2の(1)の事実中、申請人が埴原副部長にいいがかりをつけたこと及び同人に創傷を与えたことは否認し、その余の事実は認める。

同2の(2)(イ)の事実中、当日の午後旧組合員約三〇名が電気部長室で塚田電気部長に話合いを求めたこと、次いで第二応接室で話合つた結果同部長が文書の作成を約束するに至つたこと、申請人がその場に居合わせたことは認めるが、その余の事実は否認する。

同じく(ロ)の事実中、当日午後輸送係の旧組合員約二〇名が同係事務室において同係の中山職長(新組合員)に対し同係休憩室で旧組合員に挨拶することを求め、更に今後職長として旧組合の組織の切崩しを絶対にしないという趣旨の文書を書くことを求めたこと、その最中に申請人が宇佐執行委員と共に同事務室へ来たことは認めるが、その余の事実は否認する。

同じく(ハ)の事実中、当日保全係休憩室において旧組合員が星野、小野寺両職長に対し旧組合復帰の話をしたことは認めるが、申請人がその場へ行つたことは否認し、その余の事実は知らない。

同じく(ニ)の事実中、当日午後第一砕木係休憩室において旧組合員約五〇名が池田、林の両名と話合つたこと、申請人が同室入口附近において宮崎課長と会つたことは認めるが、その余の事実は否認する。

同じく(ホ)の事実中、当日戸巻課長が抄取係休憩室において同係一番方勤務終了者に対し翌日のための残業について説明していたこと、そこへ申請人が来て、室外へ出ようとする同課長をとめたことは認めるが、その余の事実は否認する。

同じく(ヘ)の事実中、当日抄取係の旧組合員が同月二四日の抄終い作業に被申請人が職長二名に時間外勤務をさせたことに抗議し、作業に就かなかつたこと、申請人がその間抄取係の職場に来て雨宮善に出合つたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(二)  本件解雇の理由等に関する申請人の反論

1  本件解雇の理由とされた事実の真相は次のとおりである。

(1) 被申請人と旧組合との間に昭和三三年七月一八日から同年一二月九日に及ぶ労働争議があり、その争議中の同年八月八日組合からの脱退者をもつて新組合が組織され、逐次新組合加入者が増加していつたが、昭和三五年一月一日の本件事件当時申請人は旧組合員で、野中福蔵及び梅屋敷敏雄は新組合員であつた。

(2) 申請人は当日市中で飲酒して、午後八時三三分に出勤したが、勤務に支障をきたす程度に酔つてはいなかつた。当日は元日のこととて、酒気を帯びて出勤する者が多く、見張室内でも酒が出されるような状況であつた。申請人に次いで出勤して来た野中福蔵も同様酒気を帯びていたが、申請人と雑談中話が労働組合の関係に及んだため、酒気が手伝つて双方感情的になり、同人が申請人に対し「貴様は一体何様になつたつもりだ、この馬鹿野郎。」といつたので、憤激した申請人は「馬鹿野郎とは何だ。」といいながら、同人の胸を二度程押したが、同人の顔面、喉首などに手を触れたことはない。そこへ梅屋敷敏雄がどなりながら申請人に近づいて来たので、申請人は同人が野中福蔵の加勢に来たものと思い、同人を押し離そうとしたところ、申請人の手が同人の口唇にあたつたため出血させたが、同人の胸倉をつかんでゆすぶり突いたり、ワイシヤツを引裂いたりしたことはない。そしてその場に居合わせた同僚の仲裁によつて治まつたのである。その後野中福蔵の口唇の内側に血がにじんでいるのが見られたようであるが、それは混乱の際同人が自ら噛んだか、仲裁者にあたつたためと思われるのであつて、決して申請人の暴行によるものではない。

(3) このような争いが続いたのは、口論を含めて午後八時四五分頃から五五分頃までの約一〇分間で、立上つて争つたのはそのうち一分足らずの瞬間のことであつて、三番方勤務の始業時刻の五分位前に終つており、傷害の程度も就業に何らの支障を与えない軽度なものであつた。

なお、争いが終つた後は、梅屋敷敏雄は勤務を終えたので帰宅するし、野中福蔵は三番方の勤務についたのであるが、間もなく新組合の石川書記長が野中福蔵を伴い、申請人がいた見張室に来て、正月なのに些細なことで争うのは大人気ないと言つて、申請人と野中福蔵を握手させ、申請人もその後両名に対し職場や同人らの自宅で数回にわたり謝罪した。

事実の真相は以上のとおりであつて、申請人には被申請人が本件解雇の理由として主張するような非行はない。

2  申請人を本件解雇処分に付した情状として被申請人の主張する事実の真相は次のとおりである。

(1) (前記三の(二)の2の(1)の事実について)

当日苫小牧工場正門前の旧組合員に対し同工場の構内から投石した者があり、旧組合員二名が負傷し、自転車一台が破損したのに立腹した旧組合員は構内から出て来た埴原健一を旧組合苫小牧支部の事務所に同行の上、同人に投石の点を抗議した。ところが飲酒していた同人が「お前達そこへ並べ。」などといつたので旧組合員らともみ合いになつたが、更に同人が「お前達もつと下がれ。」などと命令したので、その場に居合わせた申請人が憤慨して同人の頬を一回殴つたのである。これに反撃しようとした同人と他の旧組合員らとの間に乱闘が起り、その際同人が負傷したのである。申請人が同人を殴打したことはもとより非難を免れないところであるけれども、争議の最終段階で相互の感情が最も微妙な対立状態にあつた時期に、工場の構内からの投石に端を発し、被害者の態度も与つて、生じた出来事である。このような異常な状況の下での出来事を本件懲戒処分の情状とするのは相当ではない。

(2) (同2の(2)の各事実について)

(イ) 申請人は昭和三三年一二月一五日、旧組合員が電気部門で部門交渉を行つている旨連絡を受けたので、電動課に行つてみると、旧組合の千葉部門委員長らが塚田電気部長に対し配置転換について善処方を要求していた。同部長はこれを相手にせず一旦退室したが、再び戻つて来て、同委員長の要求に応じて同日午後六時三〇分頃から再会することを約したので、その頃から同工場の第二応接室で同部長と千葉らが会談し、申請人がこれに同席した。そして同日午後八時頃に旧組合側の職場要求について了解点に達したので、これを文書に作成することになり、翌日千葉委員長が独りで同部長のところへ行き、確認文書を作成したのである。このように何ら吊上げというべきことは行われていないし、申請人は同部長と千葉との会談に同席しただけである。

(ロ) 申請人は昭和三三年一二月一七日午後三時二〇分頃旧組合の書記から、輸送係で紛争が起つているそうだから執行委員が行つた方がよい旨連絡を受けたので、宇佐執行委員と共に輸送係事務室に行つたところ、旧組合員約二〇名が中山職長に対し、同人は争議中旧組合の組織の切崩しを行つたが、今後は同人とも仲良く働きたいから休憩室で皆に挨拶してもらいたい旨交渉中であつた。

そこで申請人と宇佐執行委員は両者間の斡旋に入つたのであるが、そこへ宮崎人事課長が来たので、同課長に円満に解決するから任せて欲しいとことわつた上で、斡旋を続けた。その結果、中山職長が今後旧組合の組織の切崩しをしない旨の書面を作成したので、これを休憩室で旧組合員に発表した。ところが、旧組合員は更に中山職長の挨拶を求めたので、申請人らが同人にその旨依頼したところ、同人はこれを了承して挨拶した。旧組合員の中には同人の挨拶になおも不満の声があつたが、申請人と宇佐執行委員は同人を事務室に帰した上、感情に走らないようにと旧組合員を説得したのである。このように申請人は吊上げどころか、事態の円満収拾に努力したのである。

(ハ) 昭和三三年一二月一八日の星野、小野寺両職長に関する事件については、申請人は全然関与していない。

(ニ) 申請人は昭和三三年一二月一八日午後四時三〇分頃第一砕木係休憩室で旧組合員らが池田職長及び林組長に対し旧組合への復帰を訴えて、話合つていたところへ行き合わせたところ、そこへ来た宮崎人事課長がその話合いを暴力だというので、同課長に対し、「暴力ではない。そのようなことをいうとかえつて皆が感情的になるから帰つた方がよいでしよう。」と説得して、帰つてもらつた。そして話合いが続けられたが、その間申請人はもちろん他の旧組合員も、吊上げを行つたことはない。

(ホ) 申請人が昭和三三年一二月二九日午後三時三〇分頃たまたま抄取係休憩室へ行つたところ、室内から戸巻課長が、続いて畠山執行委員が出て来て、同執行委員が同課長に対し、「皆が納得するように説明したらよいでしよう。」といつた。申請人は事情も分らないまま、同課長に、「一寸待つて下さい。」といつて、その腕を押えたが、同課長はそのまま行つてしまつた。同日の事件というのはこれだけのことである。

(ヘ) 申請人は昭和三四年一月二六日休憩時間中に組長の許可を受けて抄取係にブリキ鋏を借りに行つた際、雨宮善に出会つた。同人が申請人にぶつかつて来たので、申請人が押しかえしたところ、同人が「何、この野郎。」といつたので、申請人が「君は抄取係ではないだろう。協定違反だ。」といいかえした。これに対し同人は何かいつたが、そのまま別れてしまつたのである。

(3) 以上のとおりであつて、申請人には被申請人が本件懲戒処分の情状として三の(二)の2の(1)及び(2)の(イ)ないし(ヘ)に主張するような非行はなかつたのであるが、仮にこのような非行がいくらかでもあつたとしても、その程度は極めて軽かつた。このことは、右(イ)ないし(ヘ)の期間内に他の従業員によつて行われた同種の行為につき、被申請人が業務妨害又は職場秩序びん乱を理由として、昭和三四年三月二五日解雇四名、譴責二六名(うち謹慎附六名)、戒告五名、計三五名に及ぶ大量の懲戒処分を行つたが、その際申請人の前記非行については何らの処分もしていないことによつて明らかである。

3  前述したとおり、本件解雇の理由となつた申請人の行為は、野中福蔵及び梅屋敷敏雄に「暴行を加え、業務に妨害を与えた」ことにならないから、就業規則第三〇条第二号に該当しない。

4  仮に申請人の右行為が右条項に該当するとしても、本件解雇は、懲戒処分としては著しく重きに失する。すなわち、既に詳述したように、(1)、申請人の暴行、業務妨害は、その程度が極めて軽く、申請人の故意によるものではなかつたし、(2)、その動機も正月の酒気が手伝つて、双方の感情が高まつたためであり、(3)、申請人は改悛の情明らかで、謝罪の誠意も尽している。また、(4)、情状としてあげられた事実が前述したとおりに過ぎないものである以上、それは本件のような重い懲戒処分を相当とする理由にはならない。のみならず、(5)申請人は、昭和三二年一月七日事故を未然に防止したことにより苫小牧工場設計工作部長から感謝状を受け、昭和三三年一二月三一日火災の消火に協力したことにより同工場長から表彰状及び賞金五〇〇円を受けるなど、たびたび表彰されている。なお、(6)、苫小牧工場において従業員が勤務中の暴行々為によつて、懲戒されたことはあるが、解雇処分に付された事例はない。

五  本件解雇の理由等に関する申請人の反論に対する被申請人の反駁

被申請人が、前記労働争議の終了後である昭和三三年一二月一五日以降における従業員の業務妨害又は職場秩序びん乱行為について、昭和三四年三月二五日三五名に及ぶ申請人主張のような懲戒処分を行つたこと、その被処分者の中に申請人が含まれていなかつたことは認める。

なお、申請人が事故の未然防止により苫小牧工場設計工作部長から感謝状を受けたこと及び消火の協力によつて申請人主張の日に同工場長から賞金五〇〇円を受けたことは認める。

しかし前者は本件解雇から三年以上も前である昭和三一年一二月二八日頃のことであり、部長からの感謝状は就業規則に定める表彰には当らない。また、後者は申請人個人に対する表彰ではなく、昭和三三年一二月三〇日に休日出勤者が全員で消火に協力したことを理由に亀谷定一外二一名に対して行われた団体表彰であつて、申請人がその一員であつたにすぎない。

六  疎明〈省略〉

理由

一  被申請人が肩書地に本社を、北海道苫小牧市及び愛知県春日井市に工場を設け、紙類、パルプ類及びその副産物の製造、加工、販売等を目的とする株式会社であり、申請人が昭和二二年一〇月以来被申請人に雇傭され、苫小牧工場設計工作部工作課保全係として勤務していたこと、就業規則第二七条は懲戒処分の種類(戒告、譴責、諭旨解雇及び懲戒解雇並びに譴責の附加処分としての罰俸、出勤停止及び謹慎)及びその内容を、同第三〇条はその第一号から第一一号までに定める基準に該当する場合は懲戒解雇とするが、情状酌量の余地があるか又は改悛の情明らかなときは諭旨解雇又は譴責に止めることがある旨を規定していること、被申請人は、申請人が昭和三五年一月一日苫小牧工場において被申請人の従業員野中福蔵及び梅屋敷敏雄に対し暴行傷害を加えたことが、就業規則第三〇条第二号にいわゆる「工場、事業場において他人に暴行脅迫を加え、業務に妨害を与えたとき」に該当することを理由に、昭和三五年三月四日附で本件解雇の意思表示をしたことは、当事者間に争がない。

二、申請人は本件解雇の意思表示は無効であると主張するのである。

(一)  そこで、まづ、本件解雇の理由となつた事実の内容について、調べてみる。

成立に争のない甲第一九号証、証人野中福蔵の証言によつて真正に成立したものと認める乙第一〇、第一一号証、証人梅屋敷敏雄の証言によつて真正に成立したものと認める乙第一二、第一三号証、同証言により梅屋敷敏雄が昭和三五年一月一日出勤中着用していたワイシヤツの写真であることが明らかな第一四号証、弁論の全趣旨から真正に成立したものと認める乙第三三号証、証人田原賢蔵の証言によつて真正に成立したものと認める甲第五号証、申請人本人尋問の結果から真正に成立したものと認める甲第二三号証、証人野中福蔵及び梅屋敷敏雄の証言並びに申請人本人尋問の結果(但し、後記採用することができない部分を除く。)に、当事者間に争のない事実を綜合すると、次の事実が認められる。

被申請人の従業員をもつて組織する旧組合は昭和三三年二月から賃金増額その他の要求をめぐつて、被申請人と対立し、同年七月一八日から同年一二月九日までストライキを行つたが、その間同年八月旧組合の脱退者をもつて新組合が結成された。申請人は一貫して旧組合員であり、昭和三二年九月から昭和三四年九月まで旧組合苫小牧支部の執行委員、昭和三四年九月から昭和三五年二月まで同支部の職場委員長の職にあつたものであり、申請人と同じ工作課保全係(機械の巡回点検、注油、補修理等の作業を行う。)野中福蔵及び梅屋敷敏雄はいずれも新組合の組合員であつた。さて、昭和三五年一月一日三番方(午後九時から翌日午前七時まで)の勤務を割当てられていた申請人は、市中で飲酒し、酒気を帯びて同日午前八時四〇分前頃出勤し、苫小牧工場設計工作部保全係見張室(事務室)において勤務の交替を待つていたところ、ほどなく同じく三番方勤務のため同室に出勤し、机上の自己証明簿に氏名と出勤時刻を記入していた野中福蔵(同人は当日午後五時頃の夕食の際御神酒(おみき)を極く少量飲んだが、少しも酔つてはいなかつた。)に対し、新組合の悪口をいつて、同人をやゆするような言葉を浴びせたが、同人がとり合わなかつたので、更にかつて同人に対する給食が水浸しになつていたことなどをめぐる新旧両組合間のあつれきや、同人が旧組合所属中に受けたカンパ資金の返済を申請人から請求された際の同人の態度をとらえて、しつように同人を難詰侮蔑した。これに対して同人が「馬鹿なことをいうな。」と反撥したのに激昂した申請人は、いきなり同人の襟首を右手でつかんで引寄せるや、左手拳で同人の唇と頬の辺りを二回殴打し、更に右手拳で喉もとを一回突いた。二番方勤務者として同室に居合わせた梅屋敷敏雄がこれを見て、両者の間に割つて入り、「暴力はやめろ。」といいながら、申請人を制止するため、その腕を押えようとしたところ、申請人は、「貴様もやる気か。」などといいながら、右手拳で同人の唇の辺りを二回殴打した。申請人はなおも暴行を加えようとしたが、同室にいた樺沢組長らに制止され、紛争は午後九時五分頃治まつた。申請人の右暴行の結果右両名の口唇が切れて出血し腫れあがり、野中福蔵は全治までに約五日間、梅屋敷敏雄は同約一週間を要する口唇部挫傷兼挫創の傷害を受け、その際梅屋敷敏雄の着用していたワイシヤツの腕部が引裂かれた。野中福蔵は右紛争のためその就業が一時間ほど遅れたばかりでなく、濡れタオルで傷口を冷しながら巡回し、また下を向くと特に傷の痛みが激しかつたため、注油はもちろん機械の点検も十分にすることができず、特に急傾斜の鉄梯子を昇らなければならない屋上にあるベンチレーター六台の点検は全然することができなかつた。なお梅屋敷敏雄は三番方勤務の者に作業の引継ぎもせず、被申請人経営の病院で治療を受けると直ちに帰宅した。なお申請人は右行為につき昭和三五年一月七日傷害罪として起訴され、昭和三六年一月一七日苫小牧簡易裁判所において罰金一、五〇〇円に処せられた。

以上の事実が認められ、甲第三四号証、(その成立が真正であることは申請人本人尋問の結果から認められる。)、証人早川信一郎の証言及び申請人本人尋問の結果中右認定に反する記載又は供述部分は採用することができず、他に右認定を覆えすに足りる疎明はない。

(二)  次に、被申請人が本件懲戒処分を決定するにあたつて、申請人に不利な情状として考慮したと主張する事実が、果して被申請人の主張するような事実であつたかどうかを調べてみる。

(1)  前掲甲第三四号証、証人田原賢蔵の証言によつて真正に成立したものと認める甲第五号証、証人宮崎府央の証言によつて真正に成立したものと認める乙第二号証の一、成立に争いのない同号証の二、三及び弁論の全趣旨から真正に成立したものと認める乙第一九号証(但し上掲疎明中後記採用しない部分を除く。)を綜合すると、前記労働争議中の昭和三三年一一月二九日夜苫小牧工場正門の外でピケを張つていた旧組合員らが同工場の構内から投石され、そのため旧組合員二、三名が軽傷を負い、旧組合員の自転車一台が破損したこと、旧組合員らは、右投石は構内にいた新組合員の仕業であると憤概し、当時同工場経理部副部長で、争議中工場の警備を担当していた埴原健一が右投石の事実を調べるため、正門附近に現われるや、強引に同人を組合会館の一室に連行して、これを取り囲み、あたかも同人の指示により新組合員が投石したかのように同人を難詰して、暴行脅迫を欲しいままにしたが、この間その中にいた申請人は、同人の態度は労働者を侮辱するものであるといつて、手拳で同人の顔面を、眼鏡が飛ぶほど殴打し、同人は申請人らの暴行によつて全治までに約五日間を要する顔面挫傷及び左眼瞼部切創の傷害を受けたこと、申請人は右行為につき昭和三四年八月一一日傷害罪により罰金五、〇〇〇円に処せられ、右裁判は昭和三四年九月四日確定したことが認められ、甲第五号証及び甲第三四号証中右認定に反する記載部分は採用することができない。

(2)  前掲甲第三四号証、証人田原賢蔵の証言によつて真正に成立したものと認める甲第七号証、証人宮崎府央の証言によつて真正に成立したものと認める乙第三号証及び弁論の全趣旨から真正に成立したものと認める乙第二〇、第二一号証(但し上掲疎明中後記採用することができない部分を除く。)を綜合すると、申請人は昭和三三年一二月一五日午後四時頃から苫小牧工場電気部門の旧組合員約四〇名と共に、同工場電気部長室に押しかけて、塚田電気部長を取囲み、威圧的な態度で、勤務割編成の変更、職制代行の撤回など一三項にわたる要求事項につき交渉を求め、同部長がこのような状態ではとうてい交渉に応じられないとして退室しようとするのを、その前面に立ちふさがり、(ある者は同部長の腕をつかんで引戻したり)、して、これを阻止し、午後五時三〇分頃までしつように要求の受諾を求めて吊上げを行い、同部長をしてやむなく後刻回答する旨を約させて、いつたん解散したこと、同日午後六時三〇分頃から同工場第二応接室で再開された交渉において申請人ら旧組合員約五〇名は罵声怒号の中で同部長に右要求事項につき回答を余儀なくさせ、更にこれに関する「議事確認書」の作成を強要し、午後八時頃同部長をしてその作成を約するのやむなきにいたらしめたことが認められ、甲第七号証及び甲第三四号証中右認定に反する記載部分は採用することができない。

(3)  前掲甲第三四号証、証人田原賢蔵の証言によつて真正に成立したものと認める甲第八号証、証人宮崎府央の証言によつて真正に成立したものと認める乙第四号証及び弁論の全趣旨から真正に成立したものと認める乙第二三号証(但し上掲疎明中後記採用することができない部分を除く。)を綜合すると、昭和三三年一二月一七日午後二時過頃製品部輸送課輸送係の旧組合職場委員長松浦庄一を中心とする旧組合員約二〇名は、同係事務室になだれ込んで、同係職長中山市三(新組合員)を取囲み、千葉輸送課長が執務時間中だからといつて再三注意するのにかかわらず、中山市三が争議中友人に旧組合からの脱退を勧誘した手紙を書いたことについて旧組合員に釈明謝罪するよう強硬に要求して、同人を引張り出さうとし、漸次同事務室周辺に参集した他係の旧組合員約三〇〇名と共に「犬」、「脱落者」などと罵言を浴びせて、同人を吊上げた。その間事態の発生を知つた申請人及び宇佐吉雄は、いずれも執行委員として、現場に行き、急を聞いて既にかけつけていた宮崎人事課長に事態を円満に収拾するからと言明しながら、旧組合員を制止するどころか、逆に右吊上げに参加し、中山市三に対し、今後組合組織の切崩しを絶対にしない旨記載された文書に署名するよう迫り、旧組合員らの脅迫する中で、午後五時頃同人をしてこれに署名させたことが認められ、甲第八号証及び甲第三四号証中右認定に反する記載部分は採用することができない。

(4)  証人田原賢蔵の証言によつて真正に成立したものと認める甲第九号証(但し後記採用することができない部分を除く。)及び証人宮崎府央の証言によつて真正に成立したものと認める乙第五号証によると、昭和三三年一二月一八日午前七時三〇分頃旧組合苫小牧支部執行委員であつた桜田正一を中心とする十数名の旧組合員は苫小牧工場第一砕木保全係の職長星野満治及び同小野寺平蔵(いずれも新組合員)に対し、今後の協力につき話合いたいからと称して、同人らを同係休憩室に呼び出し、かわるがわる、矢つぎ早やに、「なぜ組織を割つたのか。」、「組合は一本化すべきだがどう思うか。」と、質問を浴びせて、午前九時一〇分頃まで同人らを吊上げ、その間申請人は同室に来ながら、執行委員として、旧組合員らを制止しないで、むしろ威圧的態度で右吊上げの状況を見ていたことが認められ、甲第九号証及び甲第三四号証中右認定に反する記載部分は採用することができない。

(5)  前掲甲第三四号証、証人田原賢蔵の証言によつて真正に成立したものと認める甲第一〇号証、証人宮崎府央の証言によつて真正に成立したものと認める乙第六号証及び弁論の全趣旨から真正に成立したものと認める乙第二五号証(但し上掲疎明中後記採用することができない部分を除く。)を綜合すると、苫小牧工場電気部電動課第一電動係の旧組合職場委員長千葉愛次郎を中心とする旧組合員約七〇名は、昭和三三年一二月一八日午後二時三〇分頃から三時過ぎ頃まで同係更衣室において、千葉愛次郎が前々日同係の新組合員の前で読上げた、「同係の職長池田一雄及び組長林土光ら(いずれも新組合員)の背信行為を追求する」旨の決議文をめぐつて、林土光を難詰し、次いで午後三時二五分頃同人と池田一雄を取囲みながら、同人らを第一砕木係休憩室に連れ込み、居合せた旧組合員約三〇名と共に、両名の旧組合脱退を非難して、口々に罵言を浴せ、あるいは灰皿でトタン張りの机を強打して、耳をろうするばかりの音を立てながら、「謝罪文を書いて配れ。」、「辞職願を出せ。」などと迫つて、午後五時頃まで同人らを吊上げたが、その間鉢巻をした申請人は右休憩室の入口において、吊上げを制止するためにかけつけて来た宮崎人事課長の前に立ちふさがり、「あなたには関係がないことだ。」とうそぶき、手で同課長の肩を押えて、その入室を妨害したことが認められ、甲第一〇号証及び甲第三四号証中右認定に反する記載部分は採用することができない。

(6)  前掲甲第三四号証、証人田原賢蔵の証言によつて真正に成立したものと認める甲第一一号証、証人宮崎府央の証言によつて真正に成立したものと認める乙第七号証及び弁論の全趣旨から真正に成立したものと認める乙第二六号証(但し上掲疎明中後記採用することができない部分を除く。)を綜合すると、苫小牧工場原質部抄取調成課長戸巻運吉が昭和三三年一二月二九日午後三時三〇分頃抄取係休憩室において抄取係員に対し、翌日の定休日出勤の代わりに残業することについて説明中、申請人が旧組合苫小牧支部の畠山執行委員と共に無断で同室へ入つて来たため、それに勢を得たかのように、説明を受けていた旧組合員がざわめき出したので、同課長が申請人らに退去を求めたところ、申請人はこれを拒否したばかりか、やむなく説明を中途で打切つて退室しようとした同課長の腕をつかんで引戻し、あるいは同人の前に立ちはだかつて、その退室を妨害したことが認められ、甲第一一号証及び甲第三四号証中右認定に反する記載部分は採用することができない。

(7)  前掲甲第二三号証(但し後記採用することができない部分を除く。)、証人宮崎府央の証言によつて真正に成立したものと認める乙第八号証及び弁論の全趣旨から真正に成立したものと認める乙第三一号証に、当事者間に争のないところを綜合すると、昭和三四年一月二六日苫小牧工場原質部抄取調成課抄取係の組合員は、同月二四日の作業に被申請人が職長二名に時間外作業をさせたことに問題があるとして就業を拒否したので、被申請人が新組合員によつて辛じて操業を始めたところ、申請人は同日午前一〇時頃、長沢原質部長の命令によつて抄取係のオリバー(脱水機)の運転及び原料濃度の調節作業に従事していた原質部所属の技術員雨宮善と三号オリバー附近の狭いタラツプの上で出会うや、同人の前に立ちはだかり、抄取係ではない同人が同係の作業に従事しているのを非難し、これに取合わず、申請人を避けて通抜けようとした同人の胸を突きとばしたことが認められ、甲第二三号証中右認定に反する記載部分は採用することができない。

(三)  前記(一)に認定した申請人の昭和三五年一月一日被申請人苫小牧工場における被申請人の従業員野中福蔵及び梅屋敷敏雄に対する行為が懲戒解雇の基準である就業規則第三〇条第二号にいわゆる「工場、事業場において他に暴行脅迫を加え、業務に妨害を与えたとき」に該当することは明らかであるところ、証人宮崎府央の証言によると、被申請人は、申請人が、前記(二)に認定したように、昭和三三年一一月二九日から昭和三四年一月二六日にわたつて被申請人の幹部職員又は同僚従業員に対し暴行傷害を加え、暴力的行為に出で、又は同人らに対する吊上げに参加し、若しくはこれを助勢した度重なる非行に鑑み、一方後記認定のように、申請人が過去において表彰等を受けた善行を斟酌した上で、前記(一)の行為につき業規則第三〇条第二号の規定を適用して、申請人を本件解雇の懲戒処分に付したことが認められるのである。

(四)  ところで、申請人は酌量すべき情状を挙げて、本件懲戒処分は重きに失する旨を主張するので、考えてみる。

証人宮崎府央の証言によるまでもなく、被申請人の従業員が酒気を帯びて工場に出勤することは許されず、このことは正月といえども変わりはないのに、申請人は当日酒気を帯びて出勤し、争議以来懐いていた新組合員に対する憎悪の感情から、当時何ら責めらるべき事由もない野中福蔵(同人が当時酒気を帯びていなかつたことは既述のとおりである。)に対し、いいがかりをつけて暴行を加え、更に制止しようとする梅屋敷敏雄にも暴行に及んで、そのシヤツを引裂き、両名に全治約五日又は七日を要する傷害を被らせ、その結果被申請人の業務に前記認定のような妨害を与えているのであるから、その動機も、申請人が言うように、単純な正月の酒の上のこととして見のがすことはできず、その暴行、業務妨害の程度も必しも軽微なものと言うことはできない。

また、被申請人が本件懲戒処分を決定するにあたり情状として考慮した申請人の過去における行為、すなわち前記(二)に認定したように、申請人が昭和三三年一一月二九日から昭和三四年一月二六日にわたつて被申請人の幹部職員又は同僚従業員に対してなした暴行、呂上げ等の行為は、その回数も一再でなく、その程度も前記認定のとおりであり、中には傷害罪により刑罰に処せられたほどのものもあるのであるから、必ずしも軽いものとは言えない。もつとも争議終了後である昭和三三年一二月一五日から昭和三四年一月二六日までの間に被申請人従業員によつて、申請人の右暴行、吊上げ等の行為と同種の吊上げ等による職場秩序びん乱行為が行われ、これらにつき昭和三四年三月二五日解雇四名、譴責二六名(うち謹慎附六名)、戒告五名、計三五名に及ぶ懲戒処分がなされたのに、申請人の右暴行、吊上げ等の行為については、まだなんらの懲戒処分も行われていないことは、当事者間に争のない事実であるが、しかし証人宮崎府央の証言によると、それは、被申請人が、申請人には争議中にもなお非行があつたとし、それと申請人の右暴行、吊上げ等の行為とを合せて、同人に対する懲戒処分を決定することとし、争議中の非行につき調査を進めているうち、本件懲戒処分の理由となつた暴行事件が発生したのであつて、申請人の右暴行、吊上げ等の行為が軽かつたために、被申請人がこれを懲戒処分の対象として不問に付したものではないことが認められるのである。更に、申請人は、従来苫小牧工場において従業員が勤務中の暴行によつて解雇処分に付された事例がないとし、これを理由に申請人に対する懲戒処分は重きに失する旨を主張し、証人田原賢蔵の証言によつて真正に成立したものと認める甲第一六ないし第一八号証(但し甲第一六号証中「望月緑雄」に関する部分以外の記載内容は、証人宮崎府央の証言に比照して、採用することができない。)及び証人宮崎府央の証言によると、昭和二四年四月から昭和三五年三月までの間に被申請人苫小牧工場において従業員が勤務中の他の従業員に対して加えた暴行又は暴行傷害について、いずれも譴責又は戒告処分にとどまり、解雇処分にはならなかつた事例が数件あることが認められるのであるが、同証言によると、被申請人は、これらの従業員については、いずれもその行為が累犯的なものでなく、その動機において被害者にも責めらるべき事由の一端があり、又は被害者とは親戚関係にあるなど、情状を酌量すべき余地が多く、かつ改悛の情も明らかであると認めたために、解雇処分に付することなく、譴責等の処分にとどめたことが認められるのであるから、このような事例と比較して、本件懲戒処分を重きに失するとするのは当らない。

なお、本件懲戒処分の理由となつた申請人の暴行は計画的な決意に出たという証拠はなく、証人野中福蔵、同梅屋敷敏雄及び同宮崎府央の証言の各一部並びに申請人本人尋問の結果によると、申請人は右暴行の直後その場において新組合の石川書記長のとりなしによつて野中福蔵と握手し、その後も同人及び梅屋敷敏雄に対し職場において謝罪し、また謝罪のため同人らの自宅を訪れたことが認められ、(乙第三七、第三八号証の記載並びに証人野中福蔵、同梅屋敷敏雄及び同宮崎府央の証言中右認定に反する部分は採用することができない。)、また当事者間に争のない事実に成立に争のない甲第三、第四号証を綜合すると、申請人は事故の未然防止により昭和三二年一月七日苫小牧工場設計工作部長から感謝状を受け、更に消火の協力により昭和三三年一二月三一日同工場長から表彰状及び賞金五〇〇円(団体表彰)を受けたことが認められるが、以上のことがらを情状として酌量してみても、本件懲戒処分の理由となつた申請人の暴行、業務妨害の程度、過去における申請人の度重なる暴行、吊上げ等、既に認定した諸般の情状を検討するときは、本件懲戒処分を酷に失するものと認めることはできない。(なお、申請人が前記表彰等を受けたことは、被申請人が本件懲戒処分を決定するにあたり情状として酌量済みであることは、既述のとおりである。)

(五)  以上の次第で、本件懲戒処分の理由となつた申請人の行為が就業規則第三〇条第二号の規定に該当することは明らかであり、しかも右行為の諸般の情状を検討すれば、本件懲戒処分を重きに失すると断定することはできないのであるから、本件懲戒処分は、右規定の適用を誤り、無効であるとする申請人の主張は、理由がないものと言わなければならない。

三  してみると、本件解雇の意思表示が無効であることを前提とする本件仮処分申請は、その被保全権利の存在について疎明がないことに帰するのみならず、保証を立てさせることによつて本件のような仮処分を命ずることも相当でないと考えるので、これを却下することとし、申請費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 吉田豊 駒田駿太郎 北川弘治)

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